テニスクラブのContrast 〜油断めさるな土曜日の対比。〜

さて、さんとさんがプリンステニスクラブに入って一週間。

ここで『え?まだ一週間しか経ってないの?!』などと言ってはいけない。
一週間てーのはなかなかに侮れないのだ。

その証拠に、それだけの間にさんとさんには
随分ゴタゴタと色んなことが降りかかった。
しかし、それも一周したところでとりあえずは
状況に慣れてきたので一段落かもしれない。

尤も、いくら一段落つきそうでも油断がならないのが少女達の常だった。



土曜日と言えば大抵の高校はお休みか、
あっても午前中で授業は終わりである。

さんとさんの通う学校の場合、土曜日は
週によってお休みだったりそうじゃなかったり
するが、今週は土曜日がお休みの週だった。

そういう訳で今日の2人のお嬢さんは朝から
プリンステニスクラブに来てレッスンを受け
今はクラブの食堂でお昼ご飯にしているところだった。

「へー、ほな鳳さんは後でゴキブリさんの件がトラウマになったんや。」

スパゲティをフォークに巻きつけながらさんが言った。

「そうみたい。だってゴキ…って言いかけただけでパニックになるんだもん。」

さんはうどんに大量の七味唐辛子をふりかけながらしれっと言う。

「それで『ゴキブリ』がどうの言うて反応を楽しんどったんやろ、どーせ。」

さんが呆れたように言ってもさんには何の効果もない。

「まぁね。今日も試しにやったら神尾コーチもすっ飛んで
逃げてたのが面白かったなぁ。」

どこまでもとんでもない少女である。

「…そろそろ本来の黒さが顔を出してきたか。」
「でも千石コーチも昨日やってたし、いいんじゃない。」
「やれやれ、跡部のにーちゃんやったらとっくにケリ入れてるトコやわ
…って、アンタ唐辛子かけすぎ。」

やれやれと首を振っていたさんは友のうどんが
赤くなってるのに気がつき、慌ててその手を止めにかかる。

「いいじゃん、私辛いの好きなんだもん。
こそ、よく何もかけずに物食べられるわよね。」
「どうせ豚カツにもソースかけへん人ですよ、私は。おや?」

スパゲティを口に入れようとして手を止めた友に、
さんはどうしたのかとその視線を辿る。

 キャアキャアキャアキャア

「何、アレ?」

突然食堂になだれ込んできた黄色い騒ぎ声にさんの機嫌メーターは
一気に下降した。そこへさんも言う。

「うん、私も一体何事や(おも)てな。」

何事もへったくれも事は一目瞭然だった。

誰か―それもどうやらテニスクラブのコーチ―が
大量の女の子達に囲まれながら食堂に入ってきたんである。

これはすこぶるよろしくなかった。
元々さんもさんもこの手の騒ぎが大嫌いなんであるが、
今回は輪をかけて問題があったのだ。

「………なあ、。あの囲まれてるの、千石さんとちゃう?」

さんはスパゲティに入ってた貝をフォークで突き刺しながら言ったが、
言ってから『しもた!(しまった)』と思った。

恐る恐る友の様子を窺うと…

「………………………。」

案の定、さんは全身からそれはそれはドス黒いオーラを発しながら
むっつりした顔をしている。

これは……はっきり言って凄くコワい。

一方、貝を刺したフォークを口にくわえたまま怯える友のことなど知りもせず
さんは自分とこのメインコーチの方を凝視していた。

当の千石清純氏は自分トコの生徒(それも一番のご贔屓)が
見てることに全然気がついていない。
可愛い女の子達に囲まれながら至極ご機嫌で、
何やら聞かれる度に愛想よく応対している。

何よ、アレ。

さんは七味唐辛子だらけのうどんにドスッと箸を突き刺した。

デレデレしちゃって!!

さんにしてみりゃやっとこさ千石氏に好意が芽生えてきたトコなので
面白くないことこの上ないのはしょーがない。

しばしば向こうからドッと沸きあがる歓声に、さんは
イライラとうどんをかき回す。

ちょい前までやたら私に接近しようと躍起になってたくせに。

さんは思った。

絶対にカンベンしないから。

さんがそんな風にショワショワと体に良くなさそうな
空気を撒き散らしてる横で
さんはスパゲティのイカリングをカジカジと
かじりながら『あちゃー』と頭を抱えていた。

千石さんのアホー、がおることにはよ気づけー!!

しかし、自分の生徒が瘴気を発してることに気がつかない極楽トンボさんが
そんな関西少女の心の叫びに気がつくはずもない。

さんは心から、今日のレッスンがメインコーチ担当でなくて
よかったと思った。
多分さんのことだ、もし今日のレッスンが千石氏担当だったら
どれだけの仕返しをするやらわかったもんではない。

そうしてさんが怯えながら胃を抱え(それでも飯を食う手は止めずに)、
さんがうどんにこれで何度目かわからない
七味唐辛子を投入した頃、やっと事態は動いた。

「あ!」

わいわいきゃいきゃい騒がしい女の子達のど真ん中から
至極のーてんきな声が上がる。

ちゃん!」

 ピキッ

うどんを箸で掬ったトコだったさんのこめかみに青筋が浮かんだ。
隣でいまだパスタを食っていたさんは恐怖で硬化した。

そんなことも知らず、呑気なお兄さんは人ごみを掻き分けて2人の少女が
お昼を頂いてるところへやってくる。

「ヤッホー、ちゃん!」

千石氏は明るく挨拶するがさんは自分のメインコーチを完全無視した。

「ここで食べてたんだ、いやぁ奇遇だねぇ。
今日は俺の担当の日じゃないから残念って思ってたんだけど、ラッキー☆」

1人ご機嫌にベラベラ喋る千石氏にさんは無反応、
さんは『この人、アホちゃうか』と深い深いため息をつく。

「アレ、ちゃん、どーしたの?顔色悪いみたいだけど?」

ニブチンもここまで来たら最早世界遺産登録してもらっても良かろう。

 ガタッ

とーとーさんが椅子から立ち上がった。
ちなみに激辛モードになってしまったうどんは食べかけである。

ちゃん?」

未だに何がどーなってんのかわかってない千石氏が自分のお気に入りの
顔色を窺おうとしたその時だ。

 ドンッ

何やら重たい音と、

「アイターッ!!」

千石氏の悲痛な叫びが上がった。

「フンッ!!」

さんは事が首尾よく運んだのを見届けると食堂の椅子をガタンッと戻し、
踵を返してスタスタをその場を去る。

「ちょっと、ーっ?!」

さんは友の背中に向かって声をかけるが効果はゼロ。
ゲームに例えるなら氷に強いモンスターに氷系の魔法をかけるよーなもんか。

それはともかくさんは行ってしまった。
体中に怒気を纏ったまま。

後には、うずくまって足をさすっている千石氏と、
一部始終をシーフードスパゲティと共に
見つめていたさんが残された。

「あーあ、なってもうたっ!」

さんは思わず頭を抱えた。

「アイタッタッタッタッター。」

そんでその横で目に涙をためながら言う千石氏を、さんは(彼女にしては)
冷ややかに一瞥する。

「あ、ちゃんも居たんだ。」

さっきからおるがな、とさんはこのオレンジ髪のにーさんに
また冷たい視線を送る。

「あ、あのさぁ、もしかしてちゃん、すっごく怒ってる?」
「そらもー。」

さんはチュルチュルとパスタを吸い込みながら無愛想に答える。

「さっきからずっと瘴気漂わせまくってましたよ。
あそこまで怒ったら私でも止められへんのに。
それもこれもぜーんぶおにーさんのせぇですからね。」
「マ、マジ……?」

たちまちの内に千石氏の顔から血の気がザザァーッと引いていく。

「へぇ、さよで。せやからどないなっても私は知りまへんで。」

おばちゃんが使う関西弁でさんは言うが千石氏は
少女の関西弁がおばちゃんくさいか
どーか判断できる状態ではない。

「うわああああああっ、ちゃーんっ!!
待ってよぉ─────!!」

千石氏はさっきまで自分を囲んでいた女の子達のことはどこへやら、
大慌てでさんの後を追った。

その姿は、まるで奥さんを怒らせた情けない旦那の様だったと言う。



さて、土曜日はこんな風にトラブルが起こったわけであるが
ここからはいつものように2人のお嬢さんのその後の様子を見てみよう。


さんの場合』

ブチキレた友に置いてかれ、事件(?)の元凶が大慌てで
ぶっ飛んでいってしまった後、さんは1人寂しく
残りのシーフードスパゲティを食っていた。
何だかんだしてるうちにすっかり冷めてしまったのがひどく悲しい。

しかも彼女の気のせいか、背中に周囲の視線が
突き刺さってるよーな気がする。

(あーあ、今日はレッスンもサブコーチだけで跡部の兄ちゃんに
苛められる心配ないから平和に過ごせるか思たのに……)

さんはこっそりため息をついた。

よもやこんなことになるとは…ホンマ、油断でけへん(出来ない)なー。

頭の中で嘆きまくる少女。
こーなったからにはさんとしてはこれ以上のトラブルが
起きない事を願うしかないのだが、運悪く更なるトラブルの種が
女の子達のざわめきと共に食堂に入ってきた。

「うげっ…」

さんは危うく口に入れたスパゲティを喉に詰めるトコであった。

無理もあるまい。
大量の取り巻き達を従えてそこへやってきたのは他ならぬ少女の
担当メインコーチだったのだから。

それを視認した瞬間、さんはその場を立ち去るべく大慌てで
スパゲティをかきこみにかかった。

跡部コーチに見つかってはたまったもんじゃない、よーな気がする。

そんなさんの隣に誰かがやってきた。

「アレ、お前跡部さんトコのじゃねーか。」

さんがおや?と思って顔を上げると、
そこには友人トコのサブコーチ・神尾アキラ氏が いる。

「あ、どーも…」
「お前1人か、てっきりが一緒だと思ったんだけどな。」
「いや、はちょいと…」

さんはモゴモゴと口籠もる。
まさかさっきあったことをペラペラ喋る訳にも行かない。

神尾氏は別にそれ以上は突っ込まず、さっさと自分のお昼ご飯にかかる。

瞬間、2人の背後で黄色い歓声が上がった。

「何だ、ありゃぁ?」

神尾氏が不審そうに振り返る。

「なるほど、跡部さんか。どーりで女子がウルセェと思ったぜ。」

さんはげんなりして口からパスタを生やしたまま固まった。
しかも目が横線になっててギャグ漫画状態である。

そこへ更に神尾氏が言葉を重ねる。

「ったく、あの人もいい根性してるぜ。には散々ひどい扱いしといて
他の女にはヘラヘラヘラヘラいい顔しやがるなんてどーゆー了見なんだよ!」
「ええんです、もう。慣れたんで。」

さんは力なくヘヘへと返すしかない。
神尾氏がああまで言うということは跡部氏のさんに対する扱いは
クラブ中に知れ渡ってるのだろう。

何とも、苦笑するしかない現実である。

「……お前、ホンット苦労してるのな。
同情するぜ、俺達も同僚ながらあの人にはなぁ…。」
「やっぱ普段もあんな俺様なんですか、うちのコーチは?」
「そらお前、とんでもねー俺様モードだぜ。この前だってあの人のおかげで
ひでぇ目に遭ったしな!」
「うわぁ……」

何だか突っ込みどころ満載の会話だが、この瞬間さんと神尾氏の間に
何か友情みたいなものが芽生えた。

「何と言いますかね、どーゆー訳か知らんのですけど跡部のおにーさんは私を
目の敵にしてる感があるんですよ。」
「そらお前、あの人にボールぶつけること複数回じゃしょうがねーよ。
今までんな大それたことしたヤツいねーからな。」
「しかし私ゃわざとやなかったんですけど。」
「そんなこといちいち酌量する余地がある人だったら
あんな人格にならねーって。」
「それもそですね。」

こうして会話をしている内にさんと神尾氏は跡部景吾とゆー人物に対して
思うところをドンドンぶちまけ始めた。

「大体あの人なんなんですかー、こちとら初心者やのにちょっとドジったくらいで
すぐにバカだのアホだの言いたい放題。しかも自分かて悪いくせに
全部私のせいにしたりするし!」
「だから俺様なんだよ。自分の思うとおりにならねーとすーぐ機嫌悪くなんだ。
その癖気の強い子が好きだったりすんだから訳わかんねぇだよな。
大体杏ちゃんの時だって…」
「あんちゃん…?」
「いや、こっちの話だ。とにかくナルシストだし態度デカいし、
やってらんねーぜ!」
「ホンマそれですよ!あーあ、何で私はあんなにーちゃんトコに
やられたんやろ。」
「誰か面白がってやりやがったんじゃねーのか。そう気を落とすなって。」

2人はこの一連の会話を当の跡部氏が居る所で堂々とやっていた。
勿論、跡部氏は大量の女の子達に囲まれて
キャアキャア騒がれてるので聞こえてやしない、
という前提があるからである。

しかし、相手は何てったってあの跡部景吾氏である。
いくら食堂には人が多いからと言って、ゆめゆめ油断はしてはいけない。

「それでですね、私このところ思うんですけど
跡部のおにーさんは私を玩具と思ってるんちゃうかと。」
「有り得るな、あの人のサディストぶりは昔から有名だ。」
「あそこにおる女の子達は気がつかんのかなー。」
「みんながみんなお前みたいに見た目より中身って
訳にゃいかねぇってことだろ。」
「なるほど。」

そうしてお互い言いたいことを言って連帯感を高めてる間に、自分達の後ろで
グゴゴゴゴと物騒な気配が近づきつつあることに
さんも神尾氏も気がついていなかった。

「やっぱアレですかね、あの人は根性の悪さを外見の良さと演技力でカバーして
世間をだまくらかしてる、と。」
「お前、うまいこと言うのな。」
「いや、ちょいと好きな漫画から拝借してみました。」
「何だ、そーかよ…………うっ!!

話の途中でたまたま後ろを振り返った神尾氏の顔が急に青ざめたので
さんの頭の上にはクエスチョンマークが浮かんだ。

「どないしはったんですか?」

しかしその問いの答えをくれたのは神尾氏ではなかった。

「ほほぉ、そういうことかよ。」

上から降ってきた嫌でも聞きなれた声を聞いて
さんは恐る恐る後ろを振り返る。

「ひっ!!!」

さんは絶句した。そうならざるを得なかった。

何故なら不運にも振り返った彼女の眼に飛び込んできたのは、
額や手の甲に青筋浮かべて
バックにおどろおどろしい気を背負(しょ)った自分の
担当メインコーチだったからである。

「よぉ、。」
「あ、跡部こぉち…どーもコンニチワ……」
「てめぇ、今日は相棒ほったらかして神尾と一体何やってんだ、ああ?」
「いや、相棒は先に行ってもうて……モゴモゴ」

さんはやっぱし口籠もる。

何てったってキレながらもニンマリと笑って話しかけてくる
跡部氏はすんごくコワい。動揺するなと言う方が無理だ。

「ほほぉ、それで神尾と2人、当人がいるのを知りながら
俺様のことを話題にしてくれた、と。」
「いや、あの、それはっ!!」
「随分とまぁ言いたい放題言ってくれるじゃねぇの。」

言いながら跡部氏はゴキゴキと手を鳴らすもんだから
さんは恐怖に駆られて『ヒィィィィィッッ!!』と肩をすくめる。

「テメーが俺様に対して含むトコがあるってのは気づいてたが、
まさかそんなことを思ってたとはなぁ。」
「あ、アワワワワワワ……」

そして、さんにとって恐怖の瞬間は訪れた。

「テメーッ、今日という今日は
もー勘弁ならねーっ!!
ぶっ殺す!!

「ああああああああっ、スンマセンスンマセンッ!!
ごめんなさぁぁぁぁぁぁぁぁいっ!!」


たちまちの内にえらいことになった為、さんはトンズラしようとした。
が、しかし跡部氏にその襟首を引っ掴まれる。

「逃げんじゃねーぞ、このクソガキ!」
「わーーーーーーッ、神尾さん助けてくださーい!!」

ジタバタしながら少女は共犯である相手に助けを求めるが、

「わ、悪ィ、。俺はそろそろ行かねーと…ま、後は頑張れよ!」

 シュンッ

神尾氏は自慢の俊足を生かし、リズムに乗って戦線離脱してしまう。
一瞬芽生えた友情はもろくも崩れ去った。

とか何とか言ってる場合ではない。

「神尾は逃げやがったか、チッ、しょーがねぇ。オラッ、こっちこい!
てめーにはたっぷり話があるからなぁ。」
「いやあああああああああ!」

プリンステニスクラブのちょっとお洒落(多分)な食堂で、
木綿をひっちゃぶいたような叫びがこだました。


『千石清純氏の場合』

さて、さんがえらい目に遭ってるその頃。

迂闊にも自分のお気に入りを怒らせて足を踏まれてしまった千石氏は
かなり必死こいてさんを追いかけていた。

昼休みの最中にコーチが慌てふためいてその辺をバタバタしている様は
間抜け以外の何者でもないが今はそれどころではない。

とにもかくにも千石氏にとっては事は切実なんである。

しかも、

「おおーい、ちゃああああん!」

千石氏は走りながらお気に入りの名を叫んでたりする。
人目を憚らず大声で呼ぶその神経には敬服するが、
どうも努力は報われてる様子がない。

断っておくが、さんを発見できなかったんではないのだ。
いくらおちゃらけで軽くてお間抜けでも千石氏はプリンステニスクラブに
勤めるコーチなのである、
こないだテニスを始めたばっかの少女1人に追いつけないほどトロくはない。

しかし……

「ねー、ちゃーん。」
「知りません。」

いくら追いついたところで肝心の相手が話を聞いてくれないのでは
どうしようもなかった。

「だから、御免ってばー。」

大の大人が18の少女の後ろにくっついて、
謝ってる姿はあまりにもコミカルである。

ちゃーん。」

千石氏は更に声をかけてみる
が、彼のお気に入りはすっかりおかんむりで返事もしてくれない。

(アチャー…)

千石氏は密かに頭を抱えた。

(今回ばっかは俺ちょっとヤバいかもー。)

そらそーだ。くどいよーだが、お気に入りを怒らせたんである、
いくら普段ポジティヴな彼でもコレばっかりは楽観的にはいかない。

ガンとこっちを向いてくれず、ズンズン歩き続ける
さんの後姿を見つめながら青年はため息をつく。

人生って侮れないよねー。

頭の中でちょい前までの出来事を反芻しながら彼は思った。

今日はちゃんに会えないから、まっいっかって
思って他の子の誘いに乗っちゃったけど…
まさかこんなことになっちゃうなんて。

全く、油断するもんじゃないなぁ。

ここで千石氏はもっぺんため息。

「あのさ、ちゃん。」

最早無駄かな、と思いつつ彼は言った。

「俺、こー見えてもさ、いつもちゃんのこといいなーって思ってんだよ?」

一瞬、前を歩いてたさんがこっちを向いた。
勿論、千石氏はその足元に原形をとどめなくなった
空き缶が転がってるのに気づいたがそれは見なかったことにする。

で、さんは振り向いたもののジト〜っと冷たい視線を送っている。

「ホントだってー。そうでなきゃいちいち話したいって思わないしさっ☆」
「そんなの、他の女の子にも言ってるんじゃないんですか?」

その発言に千石氏の耳はピピクッと反応した。

(ああ言ってるってことはー、)

そんで呑気な彼の思考回路は以下の様な結論を導き出す。

(俺ってやっぱ嫌われてないってことだよね☆)

ここで彼はいつもの癖で調子に乗りそうになったが、危ういところで堪えた。
まだまだ油断は禁物。ここでうっかり調子に乗ったら全ては水泡に帰す。

「そんなことないってばー。だってちゃんって俺の一番好みだしさ。」

さんの目は未だにジト〜っのままである。
しかし、千石氏もここで諦めるタチでないことは周知のことだ。

「今日だって直接レッスンで会えないから寂しいなーって思ってたんだよね。
あそこで会うってわかってたら絶対さっさとちゃんとこ来るよ、俺。」

だがしかし、さんは金輪際動かされてる様子がない。
寧ろ、ますます疑ってるようだ。

うわー、俺もう絶体絶命???

さしもの千石氏もそろそろ年貢の納め時だろうかと思い始めたその時である。

「おい、千石。」

いつも仕事場で聞いてる声に千石氏はおや、と思う。

「お前、さっきから人が昼寝してるとこで何女の子口説いてんねん。」

さんの友以外で関西弁と言えば彼しか居ない。
見れば、千石氏の同僚が頭に葉っぱをつけて
こちらを呆れたように見つめていた。

「忍足クン、君こんなトコで寝てるの?」

言うのを忘れていたが千石氏とさんが居たのは植え込みの側である。
つまり、忍足氏は植え込みの陰で昼寝をしてたということになるのだが
そこは突っ込んではいけない。

「どーでもええやろ、そんなこと。あ、さん、うちのの嬢ちゃんは?」
「あ、さっき食堂で別れてきて…後は知らないです。」
「そうか、ほなしゃあないなぁ。」
「あのさ、忍足クン…」

何だかほったらかされてるっぽいので千石氏は一応存在を主張してみる。

「ん、何や?」
「何やじゃないでしょー、忍足クーン。俺とちゃんの話に
割り込まないでくれる?」
「別にええやないか、お前との嬢ちゃんが仲たがいしたら
コーチ室でいちいちちゃんちゃんノロけてんの聞かんですむしな。」
「うわー、ひっどいなー。人の不幸を願うなんて、ラッキーが逃げるぞぉ?」

忍足氏の発言に千石氏が抗議してる一方で、
約一名吃驚して口をアクアクさせてる人がいた。

言うまでもなく、さんその人である。

「あの…」
「ん、どうしたの、ちゃん?」
「今、忍足さんが言ったのホントですか?」
「え?」

千石氏は一瞬、自分トコの生徒が言ったことの意味が分からなくてポカンとする。

「ホンマやで。」

そこへ忍足氏の一言が入った。

「この男と来た日にゃ、口を開けばちゃんちゃんやからなー。
コーチ室でもみんなうんざりしてるくらいや。
特にウザがってんのは跡部と鳳と神尾な。」
「あーーーーっ、それは喋っちゃダメだって!!」

千石氏は思わず叫んだが、時は既に遅し。
英語で言うなら"It's too late."である。
でも、この忍足氏の超巨大お節介は功を奏した。

「……………。」

さんが顔を真っ赤にして、固まっていた。

ちゃん、今何て言った?」
「……ます。」

さんは何やら口を動かしてるが、元がハスキーヴォイスな上に
ボショボショ言ってるので よく聞こえない。

「ゴメン、よく聞こえないんだ。もっぺん言ってくれる?」
「…………それなら、まあ今日は許してあげます。」

しばしの沈黙。

「マジ?!」

千石氏は我が耳を疑った。
そんで、

 ヒョイッ!

「やったーッ、ちゃんっ、アリガト!!俺ってやっぱラッキー☆☆☆」
「ちょっと!急に持ち上げないでください!!」
「あーあー、あっついなー。ほな、俺は行かしてもらうわ。お邪魔さん。」

いきなり始まったラヴラヴ(?)モードに耐え切れなくなったのか、
忍足氏は退場する。
その背中に向かって千石氏は叫ぶ。

「あ、忍足クンもアリガトねー♪」
「はいはい、どーいたしまして。八分音符はいらんから。」

しかし、千石氏は既にきーてない。さんを持ち上げたまま
浮かれてクルクル回ってる。

さっきまでピンチで焦ってたかと思えばもうこのとんでもない変わり様。
全くしょうのない若者である。

「ホンット、ちゃんっていい子だよね!これからもヨロシク頼むよ!」
「あ、あのっ!人が見てる」
「気にしない、気にしない☆」
「………………。」

ゴスッ!

「い、痛いよ、ちゃん…」
「いい加減にしてください。」

せっかくのところで、結局痛い目に遭う千石清純氏であった。


コーチを怒らせる生徒、生徒を怒らせるコーチ。
本日土曜日の対比はどっちもどーなんだって感じだけど、
とにかく『油断』がキーワード。

迂闊な言動は死を呼ぶ……。(多分)



そんでもって昼休みが終わって大抵の生徒さんはレッスンの時間なのだが
中にはどうやらレッスンに行けない状態の人もいるようだ。

さんの場合』

昼休みにメインコーチにブチきれ、あまつさえ彼を狼狽させるという
大技をやり遂げたさんは
意気揚々と、とまではいかないが結構スッキリした顔で
レッスンに戻ってる…ハズだった。

本来なら。

ところが、何の因果かさんは昼休みが終わった今も
まだサブコーチ達の待つテニスコートに戻れずじまいだった。

それも千石氏がなかなかさんを離そうとしないせいである。

「それでさ、ちゃん、それ言ったらいきなし跡部クンに蹴られてさー。」
「ハア…」
「ありゃ参ったねー、頭が机にめり込むかと思ったよー、アッハッハー☆」
「あの……」

さんはため息をついた。

とりあえずは昼休みの所業のことは決着がついたのはいいが、
その後千石氏はずっとこの調子なんである。

よっぽど今日は自分がさんの面倒を見れないのが残念なのか
こっちがそろそろ行こうと思っても、何だかんだ言って引き止めにかかる。

今もそーだった。

「そうそう、この前ちゃんの学校の前通ったよー。
相変わらずあそこのガッコの女の子かわいいよねー、
でもやっぱちゃんが一番いいけどさっ♪」

千石氏がニッコニコで話し続ける中、さんは自分の腕時計を見た。
時刻はとっくに次のレッスンが始まってる頃になっていた。

どうしたもんかな。

さんは思った。

遅刻になってしまってるのはともかくとして、神尾氏と鳳氏の2人は
今頃心配しているに違いない。
特に鳳氏は真面目だから、事故があったんじゃないかとか何とか
取り越し苦労をしてる可能性が大だ。

ゴキブリのことを持ち出して遊ぶのは面白いからやめないが、
他の事で鳳氏に心配はかけたくないもんである。
かと言ってまた千石氏を蹴飛ばし、話を強制終了させるのは
さすがのさんも気がひける。

でも何とかしないと、レッスン料が勿体無い。

「あの、」

いまだに1人勝手に喋り捲ってる千石氏にさんはまずは
正攻法で行ってみることにした。

「私、そろそろレッスンに戻らないとダメなんですけど。」

だがコレはあえなく失敗した。

「いーじゃない、ちょっとぐらいさっ。」

千石氏の脳味噌は完全に時間の概念を越えているらしい。

「でもコーチも仕事があるんじゃ。」
「いいからいいから。」

ルンルン状態で頭からハートマークが飛びまくってる人ほど
面倒なものはないかもしんない。

そういった訳でさんは千石氏からえんえんと話を聞かされた。

その内容は、同僚のコーチの話やら中学の時の話やら占いの話やら、
よく言えば話題が豊富だが
かくしてその実態はと言うと一貫性ちゅーもんがまるっきしない。

しかも自分がまともにコメントできそうな話題は全然ないので、
さんはそろそろ強引でもいいから
この場を去ろうと思い始めた。

「あ、そーそー、ちゃん。ちゃんって漫画読む?
俺たまに読むんだけどさ、この前面白いの見つけたんだよねー。」

そりゃ、私も漫画読むけどさ。

さんはボンヤリと思う。

相手は自分より年上でしかも男の人だし、趣味は合わないだろうな。

しかし、この油断が命取りだった。

LEGEND CHASERって漫画なんだけど、ちゃん知ってる?」

 ピクッ

突如千石氏が持ち出した作品名にさんは反応してしまった。

「あ、私コミック毎回買ってます。」
「えっ、マジー?あれいいよね、何か笑えて。」
「あのホントならシリアスなトコなのに緊張感がないとこが面白いです。」
「そーそー。いやぁ、気が合うねー☆」

そして、さんは千石氏と話し込んで遅刻した。


『跡部景吾氏の場合』

跡部氏は機嫌が悪かった。すこぶる悪かった。

それとゆーのも、彼の担当する生徒のおかげである。

どうも。

コーヒーをすすりながら彼は思う。

俺様はトコトンこいつと相性が悪いらしいな。

当の『こいつ』―跡部氏をボロクソに言った罪で
とっつかまったさん―はというと
目に涙を溜めてお尻をさすっている。

食堂で自分トコの生徒が陰口(それもほとんど事実だったりする)を
叩いてる現場を発見し、人目も憚らずつい本性丸出しで
ブチギレてしまった跡部氏は、あの後あっけに取られている人々を
思い切り無視してさんをここ、コーチ室まで引っ張ってきたんである。

そんでどーなったかは先述のさんの様子を見れば分かることだ。

「ちったぁ懲りただろ、。ああ?」

跡部氏は、痛ひ…と呟いてる少女をジロリと見て言った。

「ふぁい(はい)。」
「ったく、テメーのせいで他の女の前でとんだ恥をかいたぜ。
どこまで俺様に災難を持ち込みゃ気が済むんだ。」

勿論、さんは何も言わない。
多分言いたいことはあるが、また痛い目に遭うのは御免なのだと思われる。

「とにかくだ。」

跡部氏はコーヒーカップ(自前)を置いてさんに言った。

「これだけは言っといてやる。どーせテメェがこっちに思うとこが
あんのはとっくにわかってんだ、 言いてぇことがあんならハッキリ言えハッキリ。」

ここで何か言いたそうな目をしてたさんの口が動いた。

「……のくせに。」
「何だって?ハッキリ言ってみろ。」
「言ったら言ったで怒るくせに!」
「当たりめーだ、このバカガキ!!」

 ベシーンッ

「ぴいいいいいいいっ!!また叩いたー!!」

またも響く少女の叫びでその時何人か部屋に居たコーチ達が
非難の視線を浴びせるが、跡部氏はそんなことはお構いなしだ。

「お前にゃ荒療治で丁度いいんだよ、ピーピー泣くな。」
「……私はちっさい子ぉちゃうんですけど。」
「精神年齢はどうせ5歳だろが。問題ねーよ。」
「ありますよ!!」

さんが綺麗に突っ込みを入れた。が、しもた!と思ったのか
ハッとして口を塞いでいる。

「ハッ!やっぱりそれがてめぇの本性か、。」

当の跡部氏は素晴らしく楽しんでいた。
陰口を叩かれるのは我慢ならないが、何だかんだ言って
反応を見るのは実に面白い。

「コーチの本性、絶対他の女の子にバラしたる……」
「バーカ、お前が言っても誰も信用しねぇよ。俺様の演技は完璧だからな。」
「でも私には通じへんかった、と。」
「ああん、ウルセェよ。テメーは異端だ。」
「アンタに言われとない。」

 ピキッ

……てめぇやっぱりいい根性してんな。」
「事実を言ってみただけですが、何か?」

開き直ってしまってるのかさんはしれっとした顔をしている。

このガキ!

「ひふぁいひふぁいひふぁいーーーーー!!(痛い痛い痛いーーーーー!!)」

ったく、こいつは。

さんの両頬をシビビビッと引っ張りながら跡部氏は思った。

影で言いたい放題言われるよか、目の前で言わせた方がマシかと思ったが…
甘かったか。

―――数分後。

「あの、ええ加減行ってもいいでしょうか…?」
「ああ?んな訳ねーだろ、まだ話は終わってねーんだよ。」
「そんなーっ、乾さんに何か飲まされるし!」
「んな事情、俺様が知るか。」
「このジコチューコーチ!!!」
「何とでも言え。」

そして、跡部氏はさんを遅刻させた。



そうして午後のレッスンも終わった頃。

「ううううー、迂闊やったー。まさか跡部のにーちゃんに聞こえとったなんてー。」
「私も、まさか千石コーチがあの漫画知ってたなんて。」
「今日はサブコーチだけの日ぃやからもうちょっと穏便に過ごせると
思たのにー。」
「思いきりメインコーチに関わった上、2人とも午後のレッスン遅刻。」
『油断したなぁ。』

「ほな、結局の嬢ちゃんが遅刻しよったんは跡部のせぇか。」
「そういうことだな。」
「何やねん、ったく。今日は跡部の邪魔は入らん思たのに……」
「俺も予想外だったよ。お互い迂闊だったな。」

「それじゃは千石さんに捕まってたってことだよね。」
「そうだな。やれやれ、あの人はどこまでこっちに迷惑かけんだよ。」
「もうちょっと俺達も警戒すべきだったね。」
「だよなー。てっきり今日は大丈夫だと思ったのによ!」

「うーん、まさか俺がちゃんに気がつかなかったなんて…油断大敵だねー。」
「隣で悩んでるふりしてニヤニヤしてんじゃねーよ、このヘリウム風船!
俺様の方が深刻だ!」
「そうだね、まさかちゃんがそこまでボロクソに言うなんて思わないからね☆」
「キサマ……いつか原子レベルにまで分解してやる。」

To be continued.


作者の後書き(戯言とも言う)

皆様、お待たせしました。(え?誰も待ってへんって?!)

多分ひと月ぶりの更新です。完全にこの連載は月刊モノと化してますな。
しかも今回は無駄に長い。名前変換導入前の時点で31KBありました。
どないやねん。

ちなみに文中の漫画LEGEND CHASERは知る人ぞ知る撃鉄のオリジナル漫画の
タイトルです。別に宣伝のつもりではなく、単に他に気の利いたものを
思いつかなかったからです。

ともあれ一週間回りましたが連載はまだ続きます。(撃鉄の気が済むまで)
今度からは時間を飛ばし飛ばしで。

それにしても『このヘリウム風船!』とか…どっからそんな表現が出てくるんやろ、
我が脳味噌ながら。
次の話を読む
シリーズ目次へ戻る